サン・マルコ修道院のギルランダイオとフラ・アンジェリコの《最後の晩餐》
サン・マルコ修道院(Museo San Marco)に行った(フィレンツェ)
トスカナ州は2022年1月10日から、ホワイト・ゾーンからイエロー・ゾーンになって観光客が一段と減ったように思う。Museo San Marco も入場のためには Green Pass Rafforzato (スーパー・グリーンパス)が必要だ。朝、8時台に行くと、ベアト・アンジェリコの大作が並ぶ大きな部屋で観ているのはぼくともう一人の女性だけで、ゆったりと観られる。
二階に行く階段脇の土産物などを売っている部屋の壁にあるのが、このギルランダイオの《最後の晩餐》である。ギルランダイオは、フィレンツェにいると美術史上の大巨匠、大スターに埋もれてしまいがちだが、今回久しぶりに観て、より親しみを感じたし、興味をかき立てられるところがいくつもあった。
テーブルの手前にいるのがユダであるというのが定説だが、その脇に猫がいるのはどういう意味があるのか? ギルランダイオのこの作品で今回はっとしたのは、イエスや弟子たちの影がくっきりとうしろの壁に描かれていることだ。通常ルネサンスの絵画だと足下とか、服の襞であるとか、建物の立体性をあらわすために濃淡をつけることはあるが、人の影というものがこれほど明快に描かれているのは珍しいと思う。ギルランダイオは1400年代の後半で、これが1600年前後のカラヴァッジョやジェンティレスキになると、あたかも映画で強烈な照明でライティングしたような光と影の強いコントラストが表現されるようになる。ギルランダイオはそういった強烈なライティングという感じではない。また、猫には影がないようにも見えるのだが、それはこの猫が悪魔の化身だからだろうか?だからユダのそばにいる?
こちらはフラ・アンジェリコの《最後の晩餐》でテーブルが小さくて、弟子が全員は座れず、4人ほどは画面右側で跪いている。二階の修道僧の房に描かれたものなので、壁面とか構図の制約もあるのかもしれないが、13人も一度に座れるテーブルがなかったという発想も興味深いし、修道僧の食欲を刺激してはいけないと思ったのか、こちらはホスティアのようなものをイエスが弟子に与えているが、料理やワインは見当たらないのも面白い。
ロマン主義が勃興するまでは、原則オペラ作曲家が実際に歌う歌手を想定して書いたように、画家も《最後の晩餐》はこうあるべきということだけではなく、それがどういう場所に描かれるか(食堂なのか、修道僧の房なのか)を考えにいれて描いたということは、ありそうだ。もちろん、場合によっては注文主の意向、絵の場所と見る人の位置関係なども考慮に入れただろう。
そういう意味で美術館というのは便利ではあるが、そういった物理的コンテクストを切り離されて観ているという点は頭の片隅で認識しておく必要があるだろう。最近は宗教画で祭壇にこういう風に置かれていたなどという図を説明文のなかに組み込んでいる場合もあるが、まだまだ稀である。
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